ラグビー日本代表の福岡堅樹。
なんでも実家は病院なんだとか!
ラグビーの日本代表で実家は病院…、すごすぎですよね。
場所はどこにあるんでしょうか。
また福岡堅樹は引退して医者を目指すみたいなんですけど、医学部進学はこれからみたいですね。
一体、何の医者の目指すのでしょうか?
目次
福岡堅樹のプロフィール
福岡堅樹のプロフィールを記載していきます。
福岡堅樹は1992年9月生まれの27歳、福岡県古賀市の出身です。
福岡堅樹は5歳の時に父親にラグビースクールに連れていかれたのがきっかけでラグビーを始めました。
小さい時から足が速く中学時代は陸上部とラグビーを兼用、高校時代は福岡県立福岡高等学校に入学し、2010年には第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場しています。
高校ラガーマンの夢の舞台である花園のピッチに立った後に膝の手術をしています。
高校卒業後は医者になるために筑波大学医学群を目指しますが、一浪することになります。
浪人中に同学年のラガーマンの姿に触発され、医学部を目指す前にラグビーで挑戦することを選び、筑波大学情報学群に進学します。
大学時代は筑波大学対抗戦初優勝に貢献し、第49回全国大学選手権でも筑波大学準優勝に貢献しました。
2013年にジュニア・ジャパンに選出され、ラグビーワールドカップ2015の日本代表にも選出されました。
2016年にパナソニック ワイルドナイツに加入し、ラグビーワールドカップ2019でも大活躍しました。
東京オリンピックのセブンズ(7人制ラグビー)で引退を表明しています。
引退後はもともとの夢である医師を目指すそうです。
福岡堅樹の実家病院の場所はどこ?
福岡堅樹の実家病院の場所はどこなんでしょうか。
福岡堅樹の父親は歯科医師だそうです。
名前は福岡綱二郎さんみたいです。
福岡堅樹の父親は息子である福岡堅樹に将来医者になって欲しいと言ったことはなく、後を継いでほしいと言ったこともないそうです。
親から言われてということではなく、自分の意思で医者を目指しているということですね。
福岡堅樹の実家の病院の場所は福岡堅樹の出身地でもある福岡県古賀市の青柳町にある福岡歯科医院が実家のようです。
一般社団法人粕谷歯科医師会のHPでの紹介文に「One for All, All forOneの精神がモットーのラガー歯医者」と書いてあるので、福岡堅樹の実家の病院で間違いないと思います(笑)
歯科医院長である福岡堅樹の父親も元ラガーマンだったのかもしれないですね!
違うサイトでも口コミも治療が丁寧で先生もスタッフも優しいととても評判が良かったです。
福岡堅樹の父親も祖父も医者!
福岡堅樹の父親も祖父も医者です、
福岡堅樹の父親が歯科医師は記載しましたが…。
なんと福岡堅樹の祖父も医者だそうです。
福岡堅樹の母方の祖父にあたるようで名前は崎村正弘さん。
福岡堅樹は開業医の祖父の影響で幼少期から医者になりたいと考えていたそうです。
おじいちゃんが医者でお父さんも医者となると、特に何も言われなくても自分も将来医者になろうと思うのかもしれないですね!
世間一般的に代々父方が医者の家系などは聞いたことがありますが、母方の祖父が内科医で父親が歯科医となると遺伝子的に医者になるしかない!といったところでしょうか?(笑)
福岡堅樹はラグビーを続けることも諦めず、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後で、もう1度医学部へ入学するという選択をしました。
父親や祖父のように立派な医者になることを期待したいと思います。
福岡堅樹の医学部進学はこれから!
とはいえ福岡堅樹の医学部進学はこれからみたいですね。
福岡堅樹は幼少期から医者になる夢を持っていて、大学進学時には国内有数のラグビー部と医学部の両方を有する国立大学の筑波大学に進学することを目標にしていました。
高校3年までラグビーをやっていた福岡堅樹は学力的に筑波大学への現役合格は難しく、一浪して再受験しましたが…。
筑波大学の医学群に合格することは出来ませんでした。
さらに浪人して再受験をして筑波大学医学群を目指すか、ラグビー部のない国立大学の医学部に進学するか、筑波大学の他の学群に進学しラグビーを続けるか…。
選択肢が3つの中で福岡堅樹はラグビーを続けることを選びました。
普通ならここでラグビーを選択したことで医学部への進学は諦めそうなところですが…。
福岡堅樹は筑波大学情報学群に進学した2016年大学4年の時に「医師になる夢を諦めたわけではありません。まだ先のことになりますが、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後、もう1度医学部へ入学し直して医学の道を目指したいと考えています」とインタビューで話しています。
3年前の言葉通り、世界の舞台の最高峰ラグビーワールドカップ2019で活躍し、2020年の東京オリンピックでセブンズに挑戦、その後は引退を表明していて医学部への進学を目指すそうです。
有言実行でかっこいいと思います!
福岡堅樹はどこの大学の医学部に行く?
福岡堅樹はどこの大学の医学部に行くんでしょうか。
福岡堅樹はラグビーと並行して、基礎のみとはいえ受験や入学後に使う内容を1日1時間勉強しているそうです。
遠征先でも通信授業を使って数学・英語・物理・化学・生物の勉強をしていると言っています。
勉強を義務と思ってしまうと続かないので、本当に疲れていて無理な時はやらず、継続のために自分がやる気になった時になるそうです。
今のところ、具体的にどの大学の医学部を目指しているのかははっきりしていません。
ですが高校卒業時には金銭面も考慮して筑波大学を目指したそうなので、現役引退後に進学する大学は自分の貯金で私立大学でも可能でしょうし、筑波大学医学部への再チャレンジもあると思います。
ラグビーを現役引退してからの医学部受験なので、スポーツ推薦制度は一切使えず、完全に学力勝負です。
高校卒業時や浪人時代よりさらに大変な受験になると思います。
それでもここまで自身の夢を叶えてきた福岡堅樹ですから、しっかりと勉強して医学部へ合格すると思います!
福岡堅樹は何の医者を目指してるの?
ところで福岡堅樹は何の医者を目指してるのでしょうか。
福岡堅樹の祖父が内科医、父が歯科医です。
ですが福岡堅樹は、高校時代にお世話になった整形外科医の前田朗院長の影響や、アスリート目線を活かしたいことから整形外科やスポーツ整形などの先生を考えているそうです。
福岡堅樹は高校2年の夏に左膝前十字靭帯を断絶、前田院長の「リハビリをしっかりやれば前を同じスピードに戻る」と言われ、ピッチに戻れたのが高校3年の5月、その2か月後に右膝前十字靭帯断絶になっています。
このとき前田院長は将来を考えて手術を勧めたみたいですが、福岡堅樹は高校でラグビーを最後にする予定だったみたいで、手術をすれば最後の全国高等学校ラグビーフットボール大会の予選復帰は間に合わない。
福岡堅樹はその想いを前田院長に話したところ、前田院長は保存療法を提案しました。
そんなおかげもあって、福岡堅樹は高校時代に花園に立てました。
そんなエピソードから福岡堅樹は「あの時、花園のピッチに立てていなければ今の自分は間違いなくない。前田先生が選択肢を与えてくれなければ代表になりたいと思うこともなかった。医学の中でスポーツ整形を目指そうと思ったのも先生の影響。けがをした不安の中、この人が言うとおりにすれば戻れるという雰囲気、安心を感じた。W杯で活躍し、いつかは前田先生のような医師になりたい」と話しています。
自身の経験を最大限に活かして、スポーツ整形の医者になって、多くのアスリートを救ってもらいたいですね!