ガキ使に出演してる藤原寛は吉本興業の社長でありません。

吉本興業の社長は藤原寛ではなく大﨑洋なんですよね。

それにしても吉本興業の社長が藤原寛だという認識があったんですが、大﨑洋はいつから社長になってたんでしょうか。

色々と調べてみましたところ(結構ややこしかったですが笑)、元々藤原寛は吉本興業の社長にはなったことがなかったみたいです。

今回は、そんな藤原寛について記載していきます。

吉本興業の社長は藤原寛ではない!

藤原寛

吉本興業の社長は藤原寛ではありません。

闇営業問題で連日話題になっている吉本興業は1912年に吉本吉兵衛(通称:泰三)・せい夫婦が大阪の天満天神近くに寄席「第二文芸館」で寄席経営を始めたことが始まりの会社です。

当時は吉本ではなく芦辺合会社・大阪芦辺商会などという名称でした。

大正後期から寄席を買収しチェーン化に乗り出し、次々と事業を拡大していきます。

1924年に創業者である吉本泰三が逝去、1948年に吉本興業株式会社とし取締役会長に吉本せい、取締役社長に林正之助が就任し、翌年1949年5月に大阪証券取引所に上場します。

1961年には東京証券取引所に上場、1963年に林弘嵩が取締役社長に就任しました。

1970年に林正之助、1973年に橋本鐵彦、1977年に八田竹男、1986年に金澤民三、1991年に中邨秀雄、1999年に林裕章、2005年に吉野伊佐男、2009年に大﨑洋が代表取締役社長に就任しています。

吉本興業公式HPの吉本ヒストリーから歴代の代表取締役社長の名前を抜粋しましたが、歴代代表取締役社長の中に藤原寛の名前はありませんでした。

ちなみに吉本興業公式HPでは現在の代表取締役社長は岡本昭彦になっているので、2009年以降に役員変更があったようです。

この歴代代表取締役社長は吉本興業ホールディングス㈱のものでタレントが所属する事務所としては吉本興業㈱があり(ちょっとややこしいですが)その会社の代表取締役社長は岡本昭彦、代表取締役副社長が藤原寛でした。

藤原寛が他に取締役として名を連ねている会社は㈱よしもとスポーツ、㈱よしもとアクターズがありました。

藤原寛の学歴や経歴は?

藤原寛の学歴や経歴はどんな感じなんでしょうか。

藤原寛は日本テレビ系のバラエティー番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の年末特別番組「絶対に笑ってはいけないシリーズ」の進行役としておなじみですね!

メガネをかけたおかっぱ頭の人です(笑)

藤原寛は1968年12月生まれの50歳、大阪府の出身です。

現在は会社役員でダウンタウン松本人志の元チーフマネージャー、よしもとの番組のプロデューサーなど多岐に亘っての仕事をしています。

藤原寛の学歴は詳しくはわかりませんでしたが、大学は関西学院大学社会学部を卒業しているそうです。

もともとはダウンタウン松本のマネージャーで過剰なまでの気遣いエピソードが語られたりしています。

マネージャー業の他にはプロデューサー業を多数していて、さらに吉本の系列会社では複数社で取締役を務めていることから風貌に似合わず(笑)

やり手で敏腕なのだと思います。

吉本興業の社長は大﨑洋!

大﨑洋

吉本興業の社長は大﨑洋が務めています。

吉本興業の公式HPの役員を見ると吉本興業ホールディングス株式会社の代表取締役会長が大﨑洋になっていますね。

ちなみに平成29年8月の会社の登記上は大﨑洋と岡本昭彦が代表取締役として登記されています。

令和元年6月21日現在として大﨑洋が代表取締役会長、岡本昭彦が代表取締役社長となっているので、大﨑洋はずっと代表取締役ではありますが、慣例としての社長から会長になったのだと思います。

法人の登記上は代表取締役が何人いてもいいのですが、慣例として社長とか会長とか副社長とかの呼称をつけて役職を区別している会社が多いのです(豆知識、笑)

そして、令和元年6月21日現在と吉本興業ホールディングス株式会社のHPに記載されているということは、この辺りで取締役会が開かれて役員改選があったのでしょうが、登記がまだ終わっていないようなので法務局の情報から見られるものには平成29年の役員名しか載っていませんでした。

法務局の会社情報は個人でも情報料を支払えば誰でも見ることが出来るので、興味がある人は見てみると面白いですよ!(なんの宣伝?笑)

 

 

吉本興業の社長・大﨑洋の学歴や経歴は?

吉本興業の社長・大﨑洋の学歴や経歴はどんな感じなんでしょうか。

大﨑洋は1953年7月生まれの66歳、大阪府堺市の出身です。

大﨑洋は1978年に関西大学社会部を卒業しています。

高校は大阪府立泉北高校という記事がネットにありました。

大﨑洋は大学卒業後に吉本興業に入社しました。吉本一筋40年以上になるのですね!

大﨑洋は吉本興業に入社後、1980年に東京支社へ転勤になり1982年に大阪の吉本総合芸術学校(NSC)の担当社員になります。

この時に無名だったダウンタウンのマネージャー的な存在で業界のイロハを教えたそうです。

大﨑洋は無名だったダウンタウンを絶対面白いし売れる!と目を付け、東京進出も後押ししたそうです。

そのあとは吉本興業の関連会社の役員をいくつも務め2009年には吉本興業の代表取締役社長に就任しました。

社長就任時にはいくつものインタビューで日本のエンターテイメントについて話しています。

お笑いだけではなく日本のエンタメ全体を見据えた話が多く、先見の明があることをさらに印象つけています。

現在は数多くの関連会社を持つ吉本興業ホールディングス株式会社の代表取締役であり代表取締役会長という、吉本グループのトップに君臨しています。

 

 

吉本興業の社長が藤原寛から大﨑洋に変わった理由や時期はいつから?

吉本興業の社長が藤原寛から大﨑洋に変わった理由や時期はいつからなんでしょうか。

現在の吉本興業の大元になる親会社ともいうべき吉本興業ホールディングス株式会社では、大﨑洋は2009年から代表取締役として登記されていたことは間違いありません。

代表取締役として登記されていないと代表取締役社長にはなれないからです。

それ以前に副社長として就任していたという記事もあるので、代表取締役になったのはもっと以前からなのかもしれませんね。

藤原寛については吉本興業ホールディングス株式会社では現在見ることが出来る法人の情報では平成29年6月に取締役として登記されています。

藤原寛は代表取締役ではないので社長になることは出来ません。

これはあくまでも吉本興業ホールディングス株式会社に関してであって、株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーでは藤原寛は平成27年6月以前にはすでに取締役に就任していて平成28年4月には代表取締役に就任しています。

こちらの会社には大﨑洋の名前は取締役にありません。

ややこしいことこの上ないですが(笑)

同じ吉本のグループ会社でも取締役に就任している会社としていない会社があるようです。

2社の情報しか見ていないので、もしかすると別のグループ会社では藤原寛も大﨑洋も代表取締役として登記されている会社があるのかもしれないです。

なので、厳密にいうと吉本興業の社長が藤原寛から大﨑洋に変わったという事実はなく、現在大﨑洋は吉本興業ホールディングス株式会社で代表取締役で代表取締役会長、藤原寛は株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシーで代表取締役で代表取締役副社長という肩書ということになります。

吉本興業の社長の年収が凄い!

吉本興業の社長の年収が凄いんです

吉本興業に所属している芸人はほぼ全員が「ギャラが安い」とテレビなどでネタにしていますよね(笑)

実際のところはどうなのかはわかりませんが「吉本9芸人1の取り分」という話もあります(笑)

芸人の数もとても多いのでギャラ9割を持っていくと会社は儲かってしょうがないのではないかと思いますが、ざっと調べても関連企業の多さと所属芸人の多さを考えると、企業としてはそこまで利益が出ているわけではないのではないか?とも思います。

ただ取締役員となれば役員報酬もあるでしょうし、なんといっても天下の吉本の社長ともなれば年収は1~2億円はあるのではないでしょうか?

さすがに10億とかになると話題にもなるでしょうし高額納税者として世間に知れ渡るでしょうから、そこまで破格ではなさそうです。

大阪の会社なので節税対策もしっかりやっている気もしますが(笑)

ネットの記事をいろいろと見ても大体は1~5億円くらいを予想しているものが多かったです。

やはりイメージとしては会社がギャラをたくさんもらって儲けているから社長の年収も高いのではないか?という感じですね。

自分は2億円くらいかなぁ~と思ってます笑

今回は、藤原寛について記載しました。

藤原寛は吉本興業の社長ではなくよしもとクリエイティブ・エージェンシーの社長だったんですよね。なので、吉本興業の社長だったという経歴もありませんでした。ただ、子会社の社長であるのは間違いないので、これから大﨑洋に変わって藤原寛が吉本興業の社長になる日も近いかもですね!